2014年5月の終わりのTNR中に保護、私にとって初めての猫であり、その後に来る保護猫たちの「一家の主猫」であり、ウチューネコこと麿白が2026年2月25日15時25分頃に永眠しました。
8年にわたる腎不全の療養、変形した心臓、生まれついての虚弱な体でよくここまで生きたと思います。
最期はずっと私がそばに居て、保護した日のように手を繋いで迎えました。

これで麿白、時雉、参瑚と初期の「宇宙猫兄弟」を全て看取りで見送りました。
それぞれ私にとって子供のような存在であり、また麿白は私の一部と言っていい存在でしたが、しっかり看取れる事ができたので、一番大きな感情は喪失感ではなく安堵です。
弐醐と黒皇以外の先に見送った猫たち同様、その命を全うできたと思ってます。

麿白について書ける事はたくさんある中で、麿白についてまず何か書けるかと考えると、自分の一部と言っていい麿白を失った事についてです。
この喪失についての感覚は時間が経つにつれて変わっていくものであり、それはまた今でないと書けないことでもあります。
麿白のために組み立てたケージは二つあり、麿白に買った皮膚保護服や暖房器具や薬やサプリメントや専用クッションや専用水ボウルはまだ片付いておらず、これもいずれ片付けて空間から姿を消します。
それは、麿白をはじめとした縁ある猫たちと出会ったあの街の風景が変わっていく事にも似ています。
モノと景色、それに伴う感情ですね。それはその瞬間にしかありません。明日には別物です。

麿白を自分の一部として喩えるなら目みたいなもので、今までにない景色や感覚を見せてくれました。
麿白を見送った後にあるのは、その「あるはずのものがない」というものです。
喪失感というよりは見えてたはずのものが見えなくなったというものに近いですね。
これは他の猫の時にはない感覚です。
ただ失う事、見送る事はもう13匹目になるので構え方ややるべき事というのは心得てます。
無意識の部分では影響はあるとは思いますが表面上は泣く事も喪失感にとらわれることもないでしょう。
なぜそう言えるかは、慣れと適性です。
昨日は麿白を見送って火葬の手配をして花を買い保冷剤を用意して、ヤオコーで今日の惣菜や果物を買ってきました。メシはしっかり食うししっかり寝ます。
喪失するという事はそれを手にしていた事でもあり、時間と共に失うものが多ければ多いほど、その人生は豊かだったと言えるのではないかと考えてます。

あとは何度も書いてるように、先天的に虚弱な麿白の命をしっかり全うできた事ですね。
画像はまだ意識がしっかりしてるうちの手を握ってるところです。
臨終の数時間前まで意識ははっきりしていて、離れようとすると「ヒャン…」と鳴いて呼び止めてきました。そしてこれも麿白の特性だと思うのですけども、麿白は今まで完璧に私の言葉を理解してきました。
臨終の数時間前、「マロ、俺の元に来て幸せだったか?」と聞くと、麿白ははっきり縦に首を振ってうなづきました。
麿白をしっかり愛することができた事、麿白もしっかり私を愛した事。
この生涯でそう言い切れるから、立ち止まることなくこれからも猫の縁に最善を尽くす事ができます。その先にはきっと、また珍妙な小さなウチューネコが待っているはずです。
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8年にわたる腎不全の療養、変形した心臓、生まれついての虚弱な体でよくここまで生きたと思います。
最期はずっと私がそばに居て、保護した日のように手を繋いで迎えました。

これで麿白、時雉、参瑚と初期の「宇宙猫兄弟」を全て看取りで見送りました。
それぞれ私にとって子供のような存在であり、また麿白は私の一部と言っていい存在でしたが、しっかり看取れる事ができたので、一番大きな感情は喪失感ではなく安堵です。
弐醐と黒皇以外の先に見送った猫たち同様、その命を全うできたと思ってます。

麿白について書ける事はたくさんある中で、麿白についてまず何か書けるかと考えると、自分の一部と言っていい麿白を失った事についてです。
この喪失についての感覚は時間が経つにつれて変わっていくものであり、それはまた今でないと書けないことでもあります。
麿白のために組み立てたケージは二つあり、麿白に買った皮膚保護服や暖房器具や薬やサプリメントや専用クッションや専用水ボウルはまだ片付いておらず、これもいずれ片付けて空間から姿を消します。
それは、麿白をはじめとした縁ある猫たちと出会ったあの街の風景が変わっていく事にも似ています。
モノと景色、それに伴う感情ですね。それはその瞬間にしかありません。明日には別物です。

麿白を自分の一部として喩えるなら目みたいなもので、今までにない景色や感覚を見せてくれました。
麿白を見送った後にあるのは、その「あるはずのものがない」というものです。
喪失感というよりは見えてたはずのものが見えなくなったというものに近いですね。
これは他の猫の時にはない感覚です。
ただ失う事、見送る事はもう13匹目になるので構え方ややるべき事というのは心得てます。
無意識の部分では影響はあるとは思いますが表面上は泣く事も喪失感にとらわれることもないでしょう。
なぜそう言えるかは、慣れと適性です。
昨日は麿白を見送って火葬の手配をして花を買い保冷剤を用意して、ヤオコーで今日の惣菜や果物を買ってきました。メシはしっかり食うししっかり寝ます。
喪失するという事はそれを手にしていた事でもあり、時間と共に失うものが多ければ多いほど、その人生は豊かだったと言えるのではないかと考えてます。

あとは何度も書いてるように、先天的に虚弱な麿白の命をしっかり全うできた事ですね。
画像はまだ意識がしっかりしてるうちの手を握ってるところです。
臨終の数時間前まで意識ははっきりしていて、離れようとすると「ヒャン…」と鳴いて呼び止めてきました。そしてこれも麿白の特性だと思うのですけども、麿白は今まで完璧に私の言葉を理解してきました。
臨終の数時間前、「マロ、俺の元に来て幸せだったか?」と聞くと、麿白ははっきり縦に首を振ってうなづきました。
麿白をしっかり愛することができた事、麿白もしっかり私を愛した事。
この生涯でそう言い切れるから、立ち止まることなくこれからも猫の縁に最善を尽くす事ができます。その先にはきっと、また珍妙な小さなウチューネコが待っているはずです。
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