2026年2月25日に他界した麿白。
最期の瞬間は他猫と同じで、それは共通の現象としてまた別に書きたいと思いますが、明らかに今までの猫と違いました。

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そろそろ厳しいかと思ったのは前日ですが、前日の時点ではあと2日か3日かという印象でした。
というのも、まずそれまで投薬のようにしていた「直接給餌」に手で抵抗するようになった為です。
もちろん、そこからの強制給餌はできますが、これはもう体が食餌を拒んでるんだなと理解しました。

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そこから病院へ。
体重は2.68kgで麿白の体格からいえば、恐らく2kg前半まではまだ持ってくれるはず。
しかし検診ではやはりもう胃腸では薬などが吸収できないくらいカラカラになっており、心雑音もはっきりしてるので、注射で吐き気どめ等を接種した方がよい、そしてもう緩和ケアの段階と告げられました。しんどそうなら意識を鈍らせる処置も必要ということですね。

それはもう理解してたので、これまで8年間お世話になったかかりつけの先生二人に「最後の挨拶」をしました。麿白はそれぞれの先生に挨拶をして、そのまま自らキャリーに入りました。

腎不全が発覚してからセカンドオピニオンでいくつか動物病院を行脚して、その中で一番信頼できそうな現在の所にみな一様にお世話になってきました。
なお、初診の予約の関係で歴代預かり子猫や黒慧は別の病院です。

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こちらが病院から帰った後の皮下輸液。これが最後になりました。
心臓の鼓動が弱くなってるのも感じてたので、いつもは60mlのところ40ml程度で。
腎不全より心臓の方が怖いなという懸念がずっとありました。

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それでも、まだ自力で歩いてトイレに行き、猫こたつの上に飛び乗るくらいはできたのでまだ大丈夫と席を外しました。
2月頭に麿白が大きく体調を崩す事となった猫風邪(主に咽頭炎)の方はだいぶ落ち着いており、汚れた唾液もほぼ止まってました。
恐らく本当の終末期はこの辺りの免疫も弱まってぶり返してしまうだろうと踏んでましたし、大便も少量この日の早朝に出ており、吐き気どめを打ってたとはいえ隔離期間に嘔吐がなかったのももう数日大丈夫だろうと思った理由です。

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そして動けなくなったのが25日2時頃。起きあがろうとするけど立てなくなっており、これはもうずっと生きてきた居間で琥麦たちと過ごした方がよいと判断しました。

今まで見送ってきた腎不全の猫たちとの違いは、前日に食餌ができていた、体重減少がそこまで行ってない、排泄にもそこまで異常がない、十分に体を温めてたとはいえ血色もそこまで悪くはなかった、などなど。

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動画にも使用したこの手を握る場面では、ここから姿勢を変えて体を離すと「ヒャン…」と離れないでと訴えるくらいにはまだはっきり意識はありました。
腎不全末期ですと肉球は真っ白になりツヤもなくなりますが、まだまだ肉球は綺麗な状態でした。

死因は現実的でない解剖でもしなければ解る術もなく、腎不全か心不全か多臓器不全と色々いえますけど、黒慧は最期は黄疸が出てましたし、他猫も脱水は麿白の比ではありませんでした。
麿白の命が停まったのは、「チキューで生きるエネルギーがなくなった」という表現そのものでした。

他界の前にやわらかくブラシをかけて、少し毛をとっておきました。
今まで看取ってきた通り、「最期の痙攣」があり、それがおさまってから心臓の音がゆっくりと弱く静かになっていくのを最後まで聴いてました。

どの猫よりもやわらかくあたたかかった麿白の体が冷たく固くなっていくのを触れて見届けたわけですが、遺体もとても綺麗だったと思います。
猫たちの看取りをしてきたとはいえ、詳細に死を見届けたのは、自分の母親の時以来でした(母の時は心停止→蘇生→臨終まで寝ずの番で私がずっとそこに立ち会ってました)。
全ての経験は繋がっています。




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